11月19日 天城越え
2005年 11月 19日
(あすこゆる あまぎをこへば ちどりなく)
加藤三七子(みなこ)。
演奏
峠というのはこちらとあちらとの境界である。こちらが現在なら、あちらは未来であり、峠に立てば前と後とが眺められる期待があろう。そして作者は俳句的切れ味よりも、和歌の伝統である王朝の”たおやめぶり”を引き継いで、俳句に新しい叙情の世界を開いて見せた。
1925~ 兵庫県生まれ。「黄鐘(おうじき)」主宰。by村上護。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、凄まじい早さで麓から私を追ってきた。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺かすりの着物にはかまをはき、学生カバンを肩にかけていた。・・・
・・・重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。by伊豆の踊り子
「晩秋のひかりの先の天城越え」
(ばんしゅうの ひかりのさきの あまぎごえ)
尽生。
「落葉焚くこころ煙に預けては」
加藤耕子(こうこ)。