日日光進 NICHINICHIKOUSIN:きょうの一句
2007-07-25T22:04:27+09:00
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日日光進・更新・交信。アナタへの健康波動---。
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7月25日 時代
http://jinsei.exblog.jp/5914281/
2007-07-25T08:45:00+09:00
2007-07-25T22:04:27+09:00
2007-07-25T08:45:30+09:00
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きょうの一句
「馬洗う川すそ闇き水鶏かな」
(うまあらう かわすそくらき くいなかな)
立花北枝。
水鶏は夏鳥として渡来し、繁殖期の夜には雄がキョッキョッキョッと戸をたたくような声で鳴く。聞こえるのは川下からだが、すっかり闇につつまれて姿は見えない。寂しさを呼び起こすかの鳴き声だけ。日暮れまで農作業にいそしみ、疲れた馬を川に引き込み汗を洗い流してやっているのだ。「牛馬冷やす」の季語もあり、かっては農耕に使う牛や馬を大切にした。しみじみとした風景である。byけさの一句抄。
「今やもう牛馬何処ぞトラクター」
(いまやもう ぎゅうばいずこぞ トラクター)
山根尽生。
明日7月26日の一句
「ホスピスに人を送りし土用かな」
草間時彦。
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12月31日 去年今年
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2005-12-31T11:32:24+09:00
2005-12-31T20:49:50+09:00
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きょうの一句
(あすは がんじつがくる ほとけとわたくし )
尾崎放哉(ほうさい)。 みずから孤絶を選んだ俳人だ。「淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る」「咳をしても一人」「墓地からもどって来ても一人」などの作がある。
一高、東大を出て会社では出世コースを歩みながら、中途で栄達を捨て無一物の脱俗の生活の中で「入れものが無い両手で受ける」などの自由律の俳句を作っている。最後は小豆島の草庵に入り、死を覚悟して一歩も外に出ようとしなかった。庵にまつってあるのはお大師様で、観音経を「実に絶唱す可き雄大なる一大詩篇であると思ひ信じ」勤行を欠かすことはなかった。掲出句では<仏とわたくし>とあり、一人の世界ではなかったわけだ。
1885~1926 鳥取県生まれ。荻原井泉水に師事。by村上護。
★去年の大晦日はこうでした。☞大晦日降りやまず
そして今年は、この好天気。↓「去年今年空の機嫌の直りけり」
(こぞことし そらのきげんの なおりけり)
尽生。
★村上護先生、そして先生の「きょうの一句」と、尽生のつたない句もどきに、お付き合いくださった皆様、一年間有難うございました。
そして明日から、また新しく「癒しの一句」を(フランス堂)
(ライフログトップにup)底本に、新年一年旧来通り、
写真と拙句を添えて、継続したく思っております。
皆様、今年同様宜しくお付き合い下さい。
温情あふれるご叱責のコメントなど、
お寄せいただけたら、うれしく存じます。
明日1月1日の一句
「元日や手を洗いをる夕ごころ」
芥川龍之介。]]>
12月30日 分別
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2005-12-30T13:35:12+09:00
2005-12-30T21:06:25+09:00
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きょうの一句
(ふんべつの そこたゝきけり としのくれ)
松尾芭蕉。 年の暮れはすべてが慌ただしい。世の人はあらんかぎりの知恵と才覚を出しつくして頑張っている。俳人の芭蕉はそれをよそ事と眺めての作か。いや、かならずしもそうではなかろう。世間から見れば無用者のように思われようとも、俳人にも<分別の底>をたたいて打ち出さなければならないものがある。
分別とは心が外界を思いはかることだが、それを徹底してやるのが底を叩く意だ。中身を全部出しつくすことで、ことばを替えていえば俳人の場合は風雅の誠に徹することだろう。質の違いはあっても、今年じゅうに出しつくさなければならない。そんな意気込みを軽くユーモラスに詠んだ一句である。by村上護。
「年晦日光賜物残り福」
(としみそか ひかりたまもの のこりふく)
尽生。
明日12月31日の一句
「あすは元日が来る仏とわたくし」
尾崎放哉(ほうさい)。]]>
12月29日 年の暮
http://jinsei.exblog.jp/2928422/
2005-12-29T09:58:07+09:00
2005-12-30T23:29:04+09:00
2005-12-29T09:58:07+09:00
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きょうの一句
(ははがあを またいでゆきぬ としのくれ)
夏井いつき。★母さんこれじゃ跨ぎ様もありませんかねぇ。
俳句を「諸人旦暮(もろびとあけくれ)の詩」と解いたのは日野草城。普通の人が日常を詠むのでいいのだが、年の暮れは家庭も慌ただしい。子供をまたいで行くとは行儀のよくない母親だが、そういう<吾>はどういう状態だったか。あまいは、またがねば通り越せないところに寝そべっていたとすればお互いさまだ。
夏の季語に「三尺寝」というのがある。職人や大工などが、仕事場で短時間ねるのをいうがそれは足場や材木の上など三尺に足らぬ狭い場所で寝るからなどという。酷暑の折は疲労が激しいから昼寝は奨励されている。師走となればもっと疲れる。掲出句は仮眠の場面で取り立てるほどの話題ではないが、国すればおもしろい。これが俳句の醍醐味だろう。
1957~ 愛媛県生まれ。「藍生」同人。by村上護。
「鉢巻きは何処だっけなあ年の暮」
(鉢巻きは どこだっけなあ としのくれ)
尽生。
明日12月30日の一句
「分別の底たゝきけり年の昏(くれ)」
松尾芭蕉。]]>
12月28日 祈らむ
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2005-12-28T13:48:14+09:00
2005-12-29T10:02:01+09:00
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きょうの一句
(なにいのらむ ふゆみかづきを がくにうけ )
byやまちゃん・ニコン D70による三日月 月は自然美の典型的な風物の一つとして、古くからなじみの深いものだ。満ちては欠け、消滅してゆく。けれど死んでしまうのでなく、やがて再生するといった永遠の周期を繰り返す。まさに生命のリズムを認識するにはうってつけのもの。とりわけ美香好きは変化を示すもっとも特徴的な形である。寒風にさらされた冬の三日月は厳しさに耐え、徐々に満月へと成長してゆくのだ。
ことに冬の三日月には冷厳さが色濃い。特別な信仰心はなくても、なにかを祈らねばすまないような気分となる。三日月の光を額に受けて神々しい気分になったか。
1915~ 福岡県生まれ。横山白虹11.18 横山白虹忌夫人「自鳴鐘」主宰。by村上護。
by久保庭敦男・まもなく新月ニコン D70による月「年改吾新生を祈らなむ」
(としあらた われしんせいを いのらなむ)
尽生。
明日12月29日の一句
「母が吾をまたいでゆきぬ年の暮」
夏井いつき。]]>
12月27日 親殺し子殺し
http://jinsei.exblog.jp/2916903/
2005-12-27T08:41:51+09:00
2005-12-27T21:32:00+09:00
2005-12-27T08:41:50+09:00
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きょうの一句
(おやごろし こごろしのそら しんとすみ)
真鍋呉夫。★子殺し:2人をダムに突き落とす センセーショナルニュースとして<親殺し子殺し>の話題は絶えない。殺伐とした世相は、いつまで経っても鎮まりそうにない。変わらないのは静かで音のない<しんと澄>んだ青空だけだ。
巷の人間界と神のまします天上界、動と静の取り合わせ。作者には旧約聖書のせ会に仮託した『爾(なんじ)を愛す』などの小説がある。イエスは自分に敵し視迫害する者をも愛するように説いた。現今では掛替えのない味方までも容赦なく殺す。掲出句も背景には原罪の思想が秘められているようだが、親殺し子殺しは当面の問題であり地獄の様相をていしている。
1920~ 福岡県生まれ。小説家「紫薇」同人。by村上護。
「虚しさは霊長とやの言の葉よ」
(むなしさは れいちょうとやの ことのはよ)
尽生。
明日12月28日の一句
「何祈らむ冬三日月を額に亨け」
横山房子。]]>
12月26日 はらわた
http://jinsei.exblog.jp/2910676/
2005-12-26T08:40:07+09:00
2005-12-26T21:06:09+09:00
2005-12-26T08:40:07+09:00
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きょうの一句
(はらわたの うよきょくせつを としのくれ)
中原道夫。 交際の広い人なら、顔を出さねばならぬ忘年会は多いだろう。酒宴が連夜になると、内蔵の方も弱ってくる。胃や腸、肝臓など分けて考える余裕はない。引っくるめた<はらわた>が機能低下を来し、事情がこみいってくる。それも<紆余曲折>に切れの働きをする格助詞<を>が付いて、困難な状況は継続の様相だ。
紆余曲折は曲がりくねること、これとよく似ているのは体内の消化管の様子だろう。食道から胃へ腸へと続き、体外への排出に終わる。ことばのおもしろさを弄して滑稽である。飽食の時代の、とくに年の暮れにおける体内の健康具合を詠んだ一句で、一種のブラックユーモアであろう。
1951~ 新潟県生まれ。能村登四郎に師事。「銀化」創刊主宰。by村上護。
「年忘れ公憤義憤忘れかね」
(としわすれ こうふんぎふん わすれかね)
尽生。
明日12月27日の一句
「親殺し子殺しの空しんと澄み」
真鍋呉夫。]]>
12月25日 師走
http://jinsei.exblog.jp/2905071/
2005-12-25T11:24:10+09:00
2005-12-26T22:49:19+09:00
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きょうの一句
(よにすまば きけばしわすの きぬたかな)
井原西鶴。 掲出したのは『世間胸算用』を書いた、庶民派の代表ともいうべき江戸前期の浮世草子作者(★胃腹才覚のモジリとか)の句。碪(きぬた)は木槌で布を打って柔らかくし、光沢を出すために用いる台、またそれを撃つことをいう。根気よく、いつまでも打ち続け、低く単調な音がなかなか絶えない。匠の技と心★この中「宮古上布(宮古上布保持団体)【砧打ち(きぬたうち)】」の動画をご覧下さい。
碪は秋の夜長のあわれ深い景物として古来多くの詩歌に作られてきたが、年末の慌ただしいときに詠まれる題材としては珍しい。つまり貧乏で、師走の夜まで食うために働かなければならない民衆の哀感を詠んだ句だ。碪の音に託し庶民の哀感を<聞け>と真情を表現している。「大晦日定めなき世のさだめかな」、すなわちこの世は変わりやすく定めはないが、大晦日だけは借金とりがきちんとやって来るよ、とこれも庶民の哀感を詠んだ句である。
1642~1693 大坂生まれ。西山宗因に師事。by村上護。
「吉凶も七日で終わる師走かな」
(きっきょうも なぬかでおわる しわすかな)
尽生。
明日12月26日の一句
「はらわたの紆余曲折を年の暮」
中原道夫。]]>
12月24日 クリスマス
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2005-12-24T10:09:02+09:00
2005-12-25T22:48:09+09:00
2005-12-24T10:08:16+09:00
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きょうの一句
(くりすます 「きみとけっこんしていたら」 )
堀井春一郎。 若き日を振り返っての作である。<君>というのは昔の恋人だろう。離れ離れになっていたが、再び出会う機会があったのだ。そのときどんな話しになったかは知らないが、一変の短い小説なら書けそうな場面である。
彼女と結婚していたらどんな家庭を築いていたろうか。結婚しないで別の人生を歩むことになったが、時間はただ通り過ぎていったのではない。それとは逆に、現在から過去へと積み重なっていくものが時間だという考えもある。たとえば目の前に飾られたクリスマスツリーを見ながら、濃密な昔の恋人との時間がよみがえったのだろう。思い出は美しく、焼け棒杭に火がつきそうな危険を秘めた一句である。
1927~1976 東京生まれ。俳句総合誌「季刊俳句」創刊。by村上護。
「イブとかや今宵如何に日本人」
(いぶとかや こよいいかいかがに にほんじん)
尽生。
メリーメリークリスマスなら、いかな理由あろうとも 、
戦火は即座に消そう、なっブッシュ!!!
明日12月25日の一句
「世に住まば聞けと師走の碪かな」
井原西鶴。]]>
12月23日 風呂ふき
http://jinsei.exblog.jp/2893138/
2005-12-23T09:02:46+09:00
2005-12-23T20:53:09+09:00
2005-12-23T09:02:46+09:00
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きょうの一句
(ふろふきや かれるにおしき なかなれど)
冨士真奈美。 かぶや大根の風呂吹きは味が解るようになるまでに年季がかかるので、年寄り好みといわれることもある。それを食べる様子が風呂の火を吹くさまに似ていることから名づけられたという。ゆでて熱いうちにみそをつけて食べる。共々おいしそうに食べながら、ふと抱いた感懐だろう。
<涸れる>というのは水が乾いてなくなる意だが、ここでは若やかさが失せること。まだまだ風呂吹きぐらいに現を抜かしている年齢じゃない、と叱咤しての作。あるいは愛惜をこめて恋情を詠んだ句と解すべきである。艶麗な女優として知られる人だが、俳句もうまい。
静岡県生まれ。女優。by村上護。
「風呂ふきに偲ぶは母の手前味噌」
(ふろふきに しのぶはははの てまえみそ)
尽生。
明日12月24日の一句
クリスマス「君と結婚していたら」
堀井春一郎。]]>
12月22日 来復
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2005-12-22T08:30:38+09:00
2005-12-22T21:28:54+09:00
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きょうの一句
(いちようらいふく みずらんはんしゃ してはしる)
松本旭。 十二月二十二日ごろは冬至であり、冬季の真ん中である。昼の長さはもっとも短く、夜の長さはもっとも長い。万物の生成を陰と陽に分ける考えから夜を陰、昼を陽として、一年を立春から大寒までの二十四節気に分けると、冬至が陰の極点となる。したがってこの日は陰が極まって陽がかえってくるという意もあり、めでたい日だ。
川の流れにも逸早く変化を見つけての作。陽光は波打つそれぞれの面に当たって、種々の方向に反射散乱しながら流れてゆく。そのきらきらと輝く美しさをことほいでいるのだ。
1918~ 埼玉県生まれ。「橘」創刊主宰。by村上護。
柚子の準備も出来やした。
「肥やすまで暫しの間一休み」
(こやすまで しばしのはざま ひとやすみ)
一見、計らったかに見えますが、散り落ちたまま。尽生。
明日12月23日の一句
「風呂ふきや涸れるに惜しき仲なれど」
冨士真奈美。]]>
12月21日 ストーブ
http://jinsei.exblog.jp/2880638/
2005-12-21T08:12:09+09:00
2005-12-21T21:57:22+09:00
2005-12-21T08:12:08+09:00
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きょうの一句
(すとーぶを けせといえいに とがめらる)
右城暮石(うしろぼせき)。 火災の原因は火の不始末によることが多い。火の用心に努めるのが第一だが、独り暮らしの老人には何事も面倒臭い。「男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く」ということわざがある。掲出句の場合は前者の方か。
日ごろも死んだ妻の遺影と対話しながら、孤独を紛らしているのだろう。死んだ後まで女房に咎められるのも情けないが、ハイハイと応じている姿はユーモラス。「妻の遺品ならざるはなし春星も」などと妻を追憶する句も多く、愛妻家だったのだろう。どれも自在な俳句だ。
1899~1995 高知県生まれ。「運河」創刊主宰。by村上護。
「アラジンの魔法に掛かりて七十年」
(あらじんの まほうにかかりて ななじゅうねん)
尽生。
明日12月22日の一句
「一陽来復水乱反射して奔る」
松本旭。]]>
12月20日 かもしれぬ
http://jinsei.exblog.jp/2874962/
2005-12-20T11:55:22+09:00
2005-12-20T21:46:51+09:00
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きょうの一句
(せーたーに もぐりでられぬ かもしれぬ)
池田澄子。 毛糸で編んだ上半身に着る衣服、日本では頭からかぶって着るのをセーターとよぶ。かぶって頭を出すまでの、ちょっとの間の不安を詠んだものだ。水に潜って息苦しくなるのは分かるが、セーターを頭からかぶっている、ちょっとの間にも危険を意識するとは繊細である。詩人はいつも繊細なはずなのだが、それが笑いを誘うとはみんなが鈍感だからだろう。<セーターにもぐり>で切れる、二句一章仕立ての口語俳句。
危険はどこにでもある。それが日常化して鈍感になっているのだろう。笑ってはいけない。俳句は日常のあけくれを詠むうた、見落としがちな些事こそ大切な素材なのだ。身近なことほどシリアスなドラマとなる。そして笑いを誘う。
1936~ 神奈川県生まれ。「船団」「豈」同人。by村上護。
「傾きし光り射し入る冬木立」
(かたむきし ひかりさしいる ふゆこだち)
尽生。
明日12月21日の一句
「ストーブを消せと遺影に咎めらる」
右城暮石(うしろぼせき)。]]>
12月19日 ボロ
http://jinsei.exblog.jp/2868022/
2005-12-19T10:51:04+09:00
2005-12-19T21:03:02+09:00
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きょうの一句
(あすありや ありがいとうの ぼろちぎる)
秋本不死男(ふじお)。 庶民にとって当世はいつでもそうかもしれないが、どうも世相が暗い。デフレギャップでボロをまとっている生活ではないが、「明日ありや」と問われればどう答えるか。掲出句は終戦直後の物資も不足だったどん底時代の作。自問自答でえた結論は<明日あり>ということ。それでありながら<ボロちぎる>生活というのが愉快である。
現在はどうなんだろう。一度は大部分の国民が中流意識をもってしまった以後だ。六十数年前と今とでは比較にならないほど雲泥の差がある。生活は豊になったけれど今「明日ありや」と問われれば、「あり」と答えられないのが寂しい。
1901~1977 横浜市生まれ。「氷海」創刊主宰。by村上護。
「在りや無し問答無縁亦明日」
(ありやなし もんどうむえん またあした)
尽生。
明日12月20日の一句
「セーターにもぐり出られぬかもしれぬ」
池田澄子。]]>
12月18日 枯木
http://jinsei.exblog.jp/2861965/
2005-12-18T13:14:31+09:00
2005-12-18T21:58:08+09:00
2005-12-18T13:14:31+09:00
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きょうの一句
(どこをもて こきょうとなさむ かれきにひ)
川上梨屋(りおく)。 流離の憂いを詠んだ句だ。久保田万太郎の小説『市井人』『うしろかげ』のモデルになった俳人である。東京生まれだがウナギ職人として各地を転々、晩年は失明しながら俳句を作り続けた。
<枯木>には晩年に向かう自身の境涯を投影し、来し方を感慨ぶかく振り返っている。果たして自分に懐かしいと思える故郷はあるのか。ニヒルな気分もただようが<枯木に日>は光明である。唯今の生を生きるほかない、という決意を示している。「秋風や泪(なみだ)ためたる木馬の目」「きさらぎや目なしだるまの目に泪」「生涯の苦とつれそへる夜なべかな」など境涯にそった哀愁を詠む句が多い。
1901~1974 東京生まれ。「春燈」所属。by村上護。
★ご存じですか職人道具 鰻サキ
「身上を泪泪の枯木かな」
(しんじょうを なみだなみだの かれきかな)
尽生。
明日12月19日の一句
「明日ありやあり外套のボロちぎる」
秋本不死男(ふじお)。]]>
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