日日光進 NICHINICHIKOUSIN:癒しの一句
2006-12-31T20:32:55+09:00
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日日光進・更新・交信。アナタへの健康波動---。
Excite Blog
12月31日
http://jinsei.exblog.jp/4920802/
2006-12-31T13:55:00+09:00
2006-12-31T20:32:55+09:00
2006-12-31T13:55:00+09:00
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癒しの一句
「餅もすき酒もすきなりけさの春」
(もちもすき さけもすきなり けさのはる)
高浜虚子。 若き日
※最後の最後に、これはめっけ物☞ 高浜虚子の声(俳句朗読)
高浜虚子一九歳の正月である。まだ京都第三高等中学校に在学していた。この若さで酒が好きというのは、生意気なようだが、餅も好きというところが可愛らしい。故郷の松山から京都に出てきて、自由な雰囲気を満喫しているところだろうか。この京都時代は、学問もせず遊び暮らしていたとという。「一月子規に示したの句のうち」という前書がある二句のひとつである。
同じ正月の春で、晩年には「風雅とは大きな言葉老の春」という句を作った。掲出句からこの晩年の柵に至るまでの虚子の俳句人生を思うとたいへんに大きい。by癒しの一句抄。
この一年「癒しの一句」大変お世話になりました。
☆☆☆ 完 ☆☆☆
※一刻館さんから一句頂きました。
今年最後の一句を残させていただきます
「大晦日 喜怒哀楽に さようなら」
では、来年もよろしくお願いします。
「一年を今日晴れあがり〆を撮る」
(いちねんを きょうはれあがり しめをとる)
山根尽生。
明日1月1日「けさの一句」
「蓬莱に梅干しもあり吾(あ)も老いし」
森澄雄。
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12月30日 初日
http://jinsei.exblog.jp/4917250/
2006-12-30T18:05:00+09:00
2006-12-31T10:36:27+09:00
2006-12-30T18:05:12+09:00
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癒しの一句
「昨日とおなじところ居れば初日さす」
(きのうとおなじ ところにおれば はつひさす)
桂信子。
新しい年の初めての日射し。すでに昨年なってしまった昨日と同じところで、作者は初日を浴びている。拭きあげた畳に座して居ずまいを正しているような凛とした気配。新年を何でもないように詠いながら、昨日とは違ったものが確かにあるのだ。
平明なやわらかい表現だが、その奥に固い種のようなものが感じられて心に残る。それは作者の持っている自立とか決意とかいう意識だろうか。昭和四五年の作だが、この年の三月に作者は俳誌「草苑」を創刊した。「初日」という季語に明るい予感がある。
歳晩になると何もかも慌ただしく、追い立てられるようだ。掲出句のようにかく穏やかに強くありたいと思う。by癒しの一句抄。
「最果ての凍てつく中の初日の出」
霧多布岬(きりたっぷみさき)
(さいはての いてつくなかの はつひので)
山根尽生。
明日12月31日の一句
「餅もすき酒もすきなりけさの春」
高浜虚子。
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12月29日 炬燵
http://jinsei.exblog.jp/4912939/
2006-12-29T17:40:00+09:00
2006-12-29T23:37:43+09:00
2006-12-29T17:40:58+09:00
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癒しの一句
「炬燵出て歩いてゆけば嵐山」
(こたつでて あるいてゆけば あらしやま)
波多野爽波。
嵐山は京都市の西部にある。歴史を背負った地域である。藤原定家が小倉百人一首を編んだのも、この地である。京都の行楽地の一つとして、春、秋のシーズンにはたいへんなにぎわとなる。最近では今様の土産物を売る新しい店も増えて、若い人のスポットにもなっている。しかしながら、暑い夏の日盛りや、北風の吹きすさぶ真冬には、人通りも絶えて寂しい表情を見せる。さて掲出句は、普段着の男の姿である。
じっと炬燵に入っていた主人公が、ふらっとでて歩いていけば真冬の嵐山がある。あたりに人影も無く、川に百合鴎がたくさん浮かんでいるのが見える。さりげない俳句ではあるが懐が深い。 じっさいは、男は出てゆけば嵐山があると思いながら、その蕭条とした景をおもいうかべるだけで、炬燵にうずくまったままだったのかも知れない。by癒しの一句抄。
井伏鱒二に聞き手開高健
「鱒二翁炬燵に弾む釣談義」
(ますじおう こたつにはずむ つりだんぎ)
山根尽生。
明日12月30日の一句
「昨日とおなじところ居れば初日さす」
桂信子。
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12月28日 冬の草
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2006-12-28T17:47:00+09:00
2006-12-28T23:09:12+09:00
2006-12-28T17:47:03+09:00
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癒しの一句
「荷車を曳く冬の草見つづけて」
(にぐるまを ひくふゆのくさ みつづけて)
斉藤夏風。
冬草は、冬の枯色の中で青々とした緑を保っている草のことをいう。冬萌といえばはなやぎもあるが、そうではなく、寒さの中でわずかな日差しを大切に浴びている風情だ。
そんな冬草が続く土の道を、荷車を曳いて歩いていく。首を垂れ一歩づつ、地面の草の緑を見つめながら。だが、作者は何も見ていないのだろう。悟りとか諦めとかとは無縁の、規則正しい息遣い。計らいのない景ながら空気がぴんと張っていて、精神の強さと同時に繊細な部分をも強く感じる。by癒しの一句抄。
「目一杯丸く拡がる冬の草」
(めいっぱい まるくひろがる ふゆのくさ)
山根尽生。
明日12月29日の一句
「炬燵出て歩いてゆけば嵐山」
波多野爽波。
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12月27日 恵方
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2006-12-27T18:37:00+09:00
2006-12-27T21:45:24+09:00
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癒しの一句
「恵方とはこの路をたゞ進むこと」
(えほうとは このみちをたゞ すすむこと)
高浜虚子。
正月に歳徳神がやってくる方向のことを恵方という。方向は年によって違う。年のはじめにその方向の神社仏閣に参ることを恵方詣でという。この句の場合は、そんな方角にかかわらず、自分が歩んでいくその方向がすなわち恵方だという。たいへんな自信にあふれた表出となっている。また自分に対する克己の思いも強い。
昭和二二年作、句集『六百五十句』所収。
戦争中、小諸に疎開していた高浜虚子はこの年の秋に、四年ぶりに鎌倉に帰った。
戦争は俳句に何も影響を与えなかったと発言した虚子ではあるが、彼自身は小諸での寂しい生活を余儀無くされた。それが、鎌倉に戻って新しい気持ちで俳句に取り組もうとした思いを述べたもの。by癒しの一句抄。
「恵方向き太巻き一本かぶりつき」
(えほうむき ふとまきいっぽん かぶりつき)
山根尽生。
明日12月28日の一句
「荷車を曳く冬の草見つづけて」
斉藤夏風。
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12月26日 雪 雪
http://jinsei.exblog.jp/4898722/
2006-12-26T12:49:00+09:00
2006-12-26T22:36:45+09:00
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癒しの一句
「旅信したたむ昨日雪けふも雪」
(りょしんしたたむ きのうゆき けふもゆき)
篠崎圭介。
掲出句は、前日に雪の舞う中を歩いてきて、明くる日、宿の机に向かっているのだろうか。
「昨日雪けふも雪」はしっとりと物思わせる景色。作者は四国の人なので、きっと雪には常とは違う楽しい思い出がある。だが、雪の多い地に暮らす人にも、日常に結びついた思い出があるだろう。掲出句は、雪は懐かしいものを思い起こさせることに改めて気づかせてくれる。by癒しの一句抄。
「明日電車大雪気配の雪の降る」
(あすでんしゃ おおゆきけはいの ゆきのふる)
山根尽生。
明日12月27日の一句
「恵方とはこの路をたゞ進むこと」
高浜虚子。
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12月25日 返り花
http://jinsei.exblog.jp/4895425/
2006-12-25T20:24:00+09:00
2006-12-25T23:37:35+09:00
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癒しの一句
「返り花阿蘭陀遠きゆゑ静か 」
(かえりばな おらんだとおき ゆゑしずか)
飯田龍太。
冬、あたたかい日に桜などの花がちらほらと、時しらずに咲くことを返り花という。まことにかそけきという言葉が似つかわしく、人を遠い思いにさそうような風情がある。それも旅先での瞥見ならば、その土地の古き時代に思いをやることになる。
オランダという文字を阿蘭陀と表記したのも、先ず江戸の昔に思いを馳せてその上で異国への憧憬を述べたということだろう。遥かな時空を背景にして、今ただいま眼前の白い返り花は静まり返っている。by癒しの一句抄。
「時ならず凍てつく末の返り花」
(ときならず いてつくすえの かえりばな)
山根尽生。
明日12月26日の一句
「旅信したたむ昨日雪けふも雪」
篠崎圭介。
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12月24日 灯をともし
http://jinsei.exblog.jp/4889087/
2006-12-24T13:51:00+09:00
2006-12-24T22:55:12+09:00
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癒しの一句
「灯をともし潤子のやうな小さいランプ」
(ひをともし じゅんこのやうな ちさいらんぷ)
富沢赤黄男。
「旗艦」昭和一四年一月号に発表された「潤子よお父さんは小さい支那のランプを拾ったよ」と詞書きのある一連の句の一つ。前年に日中戦争が勃発し、作者は召集を受けて華中の地にあった。句に詠まれている長女潤子は七歳、その年小学校へ入ったばかり。このときの句は他に「やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ」「このランプ小さけれどものを想はすよ」」などがあるが、中ではもっとも掲出句が、父らしくて悲しい。ランプの火の揺らぎに、より切実に命というものを連想したのだろう。小さな灯に顔を照らしているつつましい安らぎの時間。作者の祈りのつぶやきが聞こえてくるようだ。by癒しの一句抄。
「蘇る神戸年々ルミナリエ」
(よみがえる こうべねんねん るみなりえ)
山根尽生。
明日12月25日の一句
「返り花阿蘭陀遠きゆゑ静か」
飯田龍太。
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12月23日 雪
http://jinsei.exblog.jp/4885794/
2006-12-23T20:04:00+09:00
2006-12-24T10:20:38+09:00
2006-12-23T20:04:52+09:00
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癒しの一句
「限りなく降る雪何をもたらすや」
(かぎりなく ふるゆきなにを もたらすや)
西東三鬼。
雪が降り始めると、あたりは静かな幕に閉ざされる。
空を見上げれば、際限も無く雪が降り続いてくる。じっとみつめていると、その空に吸い込まれそうな気がする。雪は何のために降ってくるのだろうというような素朴な疑問が浮かぶ。無信仰な人間であってもこういう自然の不思議に触れると、神の存在に思いをいたすものである。
雪が太地を癒してくれるような思いがする。by癒しの一句
「何故の大雪なるや天恵む」
(なにゆえの おおゆきなるや てんめぐむ)
山根尽生。
明日12月24日の一句
「灯をともし潤子のやうな小さいランプ」
富沢赤黄男。
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12月22日 憑きにけり
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2006-12-22T17:02:00+09:00
2006-12-22T22:15:16+09:00
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癒しの一句
「座について庭の万両憑きにけり」
(ざについて にわのまんりょう つきにけり)
阿波野青畝。
作者は、廊下を渡り部屋に向かう途中庭に植えられた万両に気づき、ふと見入ったに違いない。つやつやとした大粒の実は寂しい冬景色のなかで、その紅色を際立たせていたのだろう。座についてひとしきりすると、ふとさっきの万両を思い出した。そのあともなぜか頭に浮かんでくる。まるで、その万両にとりつかれたように。穏やかな時間の流れと作者に憑いて離れない鮮やかな一景、さりげなく詠まれているこの違和感こそが詩のありかだろう。by癒しの一句抄。
ブルーライトヨコハマ「浜夜景ブルーライトの憑きにけり」
(はまやけい ぶるーらいとの つきにけり)
山根尽生。
明日12月23日の一句
「限りなく降る雪何をもたらすや」
西東三鬼。
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12月21日 火迫る
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2006-12-21T21:36:00+09:00
2006-12-21T23:49:30+09:00
2006-12-21T21:36:37+09:00
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癒しの一句
「畏れつゝ火迫る佛」
(おそれつゝ ひせまるほとけ だきにけり)
三星山彦。神仏・聖者の事業
掲出句は昭和六年、七年の作。『ホトトギス雑詠選集』所収。
このころ高野山の金剛峯寺で大きな火事があったのだろうか。臨場感のある作がホトトギスにたくさん掲載された。掲出句はそのなかでも仏に対する気持ちがよくあらわれている。仏像を抱えて逃げるにも、仏に対する畏れを感じるのだ。by癒しの一句抄。
「火の迫る焼野の雉子子の守り」
(ひのせまる やけののきぎす この守り)
山根尽生。
※水を含んだ羽根で、身を挺しわが子を守る故事。
明日12月22日の一句
「座について庭の万両憑きにけり」
阿波野青畝。
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12月20日 無音の雪
http://jinsei.exblog.jp/4871154/
2006-12-20T14:53:00+09:00
2006-12-20T22:11:30+09:00
2006-12-20T14:53:02+09:00
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癒しの一句
「音絶えしこの音が雪ふる音か」
(おとたえし このおとがゆき ふるおとか)
有働亨。
雪の降る、音の絶えた世界。作者の内側には、静けさとは逆に冴えて昂ぶるものがあるのだろう。夜とは書かれていないが、掲出句を読むと、その無音に聞き入りながら雪の降る闇の奥へ引き込まれて行くような心持ちがする。雪を詠んだ佳句は多いが「しべりあの雪の奥から吹く風か 寺田寅彦」などをこの句に連なって思い出す。答のない問いかけは我へ向けられたものだろう。by癒しの一句抄。
「時も時無音の雪と名付くなり」
(ときもとき むおんのゆきと なづくなり)
山根尽生。
明日12月21日の一句
「畏れつゝ火迫る佛抱きにけり」
三星山彦。
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12月19日 年暮
http://jinsei.exblog.jp/4866978/
2006-12-19T17:45:00+09:00
2006-12-19T22:32:48+09:00
2006-12-19T17:45:26+09:00
jinsei1
癒しの一句
「芭蕉去りてそのゝちいまだ年くれず」
(ばしょうさりて そのゝちいまだ としくれず)
与謝蕪村。芭蕉 蕪村
「笠着てわらぢはきながら」という前書がある。芭蕉の「年暮ぬ笠きて草鞋はきながら」という句をふまえている。旅寝のうちに年を送り迎えした芭蕉が亡くなってから、同じ俳諧の道を歩む私なども、世俗に追われて、悔いのない年を送ったためしがない。そういう自省の気持ちを作者与謝蕪村はずっと抱き続けた。『蕪村句集』冬の部の最後の句である。風雅の道において、悔いのない仕事をし遂げないうちは、精神的な負債が残ったままになっている。これではいつまでたっても晴々した気持ちにならない。そういう気持ちを「年暮れず」と反省したのは、古来蕪村ひとりである。
年の暮れになると、心が落ち着かず、何やら気ぜわしいことだが、世俗の姿を嫌うだけでは風雅の道を歩むことはできない。世を捨てることのかなわぬ身ならば「笠きてわらぢはきながら」とつぶやいてみることだ。by癒しの一句抄。
「グーグルが仮想体験年の暮れ」
(ぐーぐるが かそうたいけん としのくれ)
山根尽生。
※グーグル、NASAと提携--月面版Google Earthなどを開発へ
宇宙旅行の仮想体験が無料で可能とか
明日12月20日の一句
「音変絶えしこの音が雪ふる音か」
有働亨。
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12月18日 馬の足
http://jinsei.exblog.jp/4862009/
2006-12-18T16:53:00+09:00
2006-12-18T21:46:13+09:00
2006-12-18T16:53:01+09:00
jinsei1
癒しの一句
「馬の足太く短く橇行かす」
(うまのあし ふとくみじかく そりゆかす)
稲畑廣太郎。
橇は海外の絵本では親しい道具だ。W・スタイグの『ゆうかんなアイリーン』では、少女とお医者様を病気のお母さんのところへ運んでいく。大きな橇がどんどん橇がどんどん我が家へと近づいていくのだ。
この橇も、どこか知らない遠いところへ連れていってくれるわけではない。行く先も橇の目的も極めて現実的なものだろう。だが、詠まれているこの運行はどこか明るくて、その現実感にこそほっとするものがある。by癒しの一句抄。
「降り積んで馬も苦労のふかい雪」
(ふりつんで うまもくろうの ふかいゆき)
山根尽生。
明日12月19日の一句
「芭蕉去りてそのゝいまだ年くれず」
与謝蕪村。
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12月17日 雪の深さ
http://jinsei.exblog.jp/4856816/
2006-12-17T16:01:00+09:00
2006-12-17T21:57:57+09:00
2006-12-17T16:01:02+09:00
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「いくたびも雪の深さを尋ねけり」
(いくたびも ゆきのふかさを たずねけり)
正岡子規。
雪が降り出したが、起き上がって外の景色を見ることはできない。そこで家人に雪の具合を尋ねるのである。雪は積もりはじめたらしい。それを自分の眼で見ることができずに、もどかしい。病人は気が短い。さあいまはどれくらい積もったか、しばらくしてはまた、と何度も雪の深さを聞くのだ。そのたびに少しずつ雪が深くなっていることが分かる。明治のころは東京もそれくらい雪がつもったのだ。
病生活のなかではあるが、ユーモラスな興を覚えることもある。また、病床から、わずかに外の世界をうかがっている自分を意識している。雪は大きく世界を包んでいる。by癒しの一句抄。
「雪浅く懸念の元の温暖化」
(ゆきあさく けねんのもとの おんだんか)
山根尽生。
明日12月18日の一句
「馬の足太く短く橇行かす」
稲畑廣太郎。
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